一乗谷朝倉氏遺跡
2018.10.18
10月18日、ネコ娘が一日部活の日です。さて、丸一日あるなら近場でもいいので遊びに行こう!ということになり、クマ兄さんとペンギン姉さんの二人だけでドライブに行くことにしました。目的地は福井県の一乗谷朝倉氏遺跡。以前、TVで紹介されていたのを見たっていう予備知識しかないけど、とりあえず行けば楽しめるでしょう。
8:00、ネコ娘と一緒に玄関を出る。ネコ娘は自転車で中学校へ。クマ兄さんとペンギン姉さんは、ペンギン姉さんの愛車デイズルークスに乗り込み出発。 北陸道を西へ、福井県を目指します。爆走! |
朝倉氏遺跡資料館 |
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10:10、朝倉氏遺跡資料館に到着。自宅から2時間ほどで到着できました。福井って日帰り圏内なんだね。朝倉氏の知識は全くないので、まずはこの資料館で朝倉氏の勉強をしようと思います。入館料は100円。これなら気軽に入館できますね。
資料館に入ろうとしたら、玄関脇に大きなカマキリがいたので写真撮影。アサガオに寄ってくる虫を捕まえようとしているのかな? 入館してみると、内部は写真撮影不可でした。一乗谷の模型とか遺跡の発掘調査で出土した焼き物などが展示されていました。あと、特別展で日本刀の展示も。日本刀ってブームなんだって?刀剣女子っていうのがいるらしいじゃん。何が面白いのか分からんけど。 30分ほどで見学終了。なんとなく朝倉氏ってすごそう、ということは分かりました。 |
復元町並 |
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10:50、復元町並にやってきました。210円を支払って復元町並へ入場。 | ||
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入場してみると平地?が広がっています。が、区切りがあるね。もしかして昔、建物が建っていたときの屋敷の境目なのかな?四角い箱が置いてあるな、と思ったら井戸っぽい。 |
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平地の先には建物がたくさん並んでますね。あれが復元町並っぽい。じゃあ、行ってみよう。 |
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町並のに入ってみました。平屋建ての家々が並んでいます。どこの家にも入って見学できるみたい。一番端にある建物に入ってみよう。 |
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この家の中には井戸がありました。さっきの平地にあった井戸も、現役のころはこんな風に家の中にあったのかな? |
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道路の反対側に出たら庭がありました。庭に小屋があるんだけど・・・これはトイレかな?庭から家の屋根を眺めると石が積んである。風で屋根が飛ばないようにしているんだよね。 |
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再び家の中。壁は砂でできているんだけど、繋ぎとして藁が練り込まれてるんですね。強度が上がるんだろうか。 |
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隣の家に入ってみる。柱の表面にはチョウナとかヤリガンナという道具で削られた跡が残っています。戦国時代によく使われた道具なんだって。ということは、この一乗谷は戦国時代に栄えた町なんだな。 |
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あれ?タイムスリップした?昔の着物を着た人達が出てきて、ご挨拶してるね。ボランティアの寸劇らしい。 |
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この家には甕が並んでいました染め物をやっている家だったとおもう。甕が埋まっているんだけど、それでいいの? |
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左はトイレ。和式です。壁を隔てた隣からは汲み取りできるようになっていました。匂いが凄かったんだろうなー。それから、どこの家も裏庭完備。ここで家庭菜園でもやっていたんでしょう。 |
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道路に出ると寸劇が行われていました。お姫様?と町娘のやり取りだったようです。その脇には野菜のお店があって・・・本当に買えるとか。柿が二個で100円、さつまいもが一個200円、アケビも売ってました。 |
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こっちにも町の住民がいました。普通に我々観光客に声をかけてきます。一乗谷の城下町って活気があったのかな?それにしても、こんな山奥にこれだけの城下町があったってほんとかね? |
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壁や石垣が整然と並ぶ町並。この地には1471年に朝倉敏景が本拠を移し、1573年に朝倉義景が一乗谷を放棄して大野に逃げるまでの約100年、この地はものすごく栄えたそうです。人口は1万人を超えたとか。 |
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ある家でも寸劇が開催されていました。親父さんが息子に殿様の娘の婿に行け、という話。途中で喧嘩をしたり、仲直りしてその気になったり・・・。最後の落ちは、現地でお楽しみください。
なかなか面白く、笑わせてもらいました。 |
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寸劇をやっていた家の隣の家では将棋の駒が置いてありました。ここ一乗谷朝倉氏遺跡では酔象という駒が発見されたそうで、その記念に将棋の駒に好きな字を書くことができます。酔象という駒は現代では使われていませんが、南北朝時代には将棋の駒として使われていたとか。酔象の駒は後ろ以外に動くことができ、成ると太子となって王将と同じ駒になるそうです。なかなか強い駒ですな。
ということで、酔象の駒を作ってもらってきました。 |
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最後に展示室。手作りの鎧とか、町並みの模型とか。400年以上も前に、こんな山奥に大都市があったっていうのは驚きですな。 |
一乗谷朝倉氏遺跡義景館跡 |
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復元町並の見学を終え、道路を挟んだ向かい側にある義景館跡に行ってみます。有名な唐門が遠くからでも見つけられます。パンフレットなどによく出てくる門ですな。 |
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小川を渡り義景館跡の唐門を目指す。ものすごく広い草原が広がっているんだけど、400年前にはここに大きな屋敷が建ってたんだろうなぁ。 | ||
義景館跡の唐門にやってきました。一乗谷朝倉氏遺跡の顔ともいえる門です。実は朝倉氏の遺構ではなく、あとから朝倉義景を弔うために作られたものらしい。江戸時代中期頃のものだそうです。
唐門をくぐって朝倉義景館跡へ。 |
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唐門を抜けたところにある広場が朝倉義景館の跡。義景とは越前朝倉氏の第11代であり最後の当主。義景は足利義昭の命令を拒否して織田信長を怒らせてしまい、攻め込まれてしまったそうです。最終的に信長に一乗谷を焼き払われてしまい、崩壊してしまったとか。その時からここは荒地になっていたのかな。 |
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義景館の横には義景公墓所があります。朝倉義景は織田信長との闘いで敗れ、大野に逃げて自害したそうで、そちらに墓所があるのですが、ここにも墓所がありました。こちらは1663年に作られたもので、大野にあるものは江戸時代に建てられたものらしい。どっちが本物でしょう。 |
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左は義景館跡の庭園。昭和43年の発掘調査で発見されたそうです。山の斜面に導水路が造られて、水が流れ込むようになっていたとか。 右は花壇跡。赤い上着を来たおじさんがいるところです。日本最古の花壇なんだって。 |
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義景館跡から唐門を眺める。今は広場だけど、昔は・・・。なんでこんな山奥に?という謎は解けず。後から調べてみたら、ここは福井平野の端から山地に入ってすぐの谷間。東西500m、南北3kmあります。数キロ先に北陸道があり、美濃街道や朝倉街道が通る交通の要衝だったとか。確かにここに城を築いて交通を押さえたら他の大名は嫌だよね。 |
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義景館の裏にある山に登ってみる。すると、発掘調査で明らかになった館の基礎が広がっていました。草原じゃなかった・・・。ものすごく大きな館があったようです。 |
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義景館の裏山の中腹には湯殿跡庭園があります。ここは朝倉氏遺跡の4つの庭園の中で一番古い庭園。昭和5年に国の名勝に指定されたそうです。仏様を模した石とか石橋が架けられていたとか・・・。導水路で水が引かれ、とっても立派な庭園だったそうです。と、無料ガイドのおじさんが説明してくれました。ふらふら歩いていたら、自由に合流、自由に離脱できるガイドツアーがあったので、ちょっとだけ話を聞かせてもらいました。 |
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12:00、義景館周辺散策終了。唐門を通って撤収。400年前の遺跡散策はなかなか面白かった。じゃ、お昼ご飯に行こう。 |
一乗谷レストラント |
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12:10、一乗谷の北部に位置する一乗谷レストラントにやってきました。復元町並の受付に割引券が置いてあったので、ちょっと贅沢しちゃおうかな、なんて考えです。ネコ娘もいないしね。 |
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そして注文したのは響膳(おもてなし)ランチ〜秋のかご盛り〜。煮物、酢の物、お造り、揚げ物、肉物、焼き物の6品。これにお蕎麦が付きました。ちょっと贅沢でしたね〜。天ぷらが一番気に入りましたが、どれもとっても美味しかったです。 |
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食後、二つのデザートが付きました。コーヒー付き。その後、料理長からもう一品、ということで水ようかんを頂きました。デザート三つとは、サービス満点。 |
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13:00、だいぶゆっくり休憩できました。美味しかったし、ゆったり空間で居心地よかったし、とても良いレストランでした。 |
発掘調査 |
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13:05、再び復元町並の駐車場に戻ってきました。この近くで発掘調査が行われていて、その様子が見学できる、という案内を見つけたからです。
遊歩道を歩いて発掘現場へ。途中で大きなムカデを見つけちゃった。たぶんオオムカデ。昆虫や小動物を食べため、獲物に噛みついて毒を注入し、動けなくして食べるんだそうです。あぁ、怖い。 |
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5分ほど歩いて発掘現場に到着。すでに5-6名の作業員が発掘調査を行っているようです。遊歩道脇には発掘された土器?が展示されてます。
ほぅ、こうやって発掘調査ってやるんだー、って見学していたら、一人のおじさんが発掘現場からこちらにやってきました。来ているベストには学芸員の文字。わざわざクマ兄さんとペンギン姉さんに発掘調査のことを説明しに来てくれたのでした。輸入品の土器が見つかっていることや、土の様子や基礎の石から建物の大きさを予想することなどいろいろ気さくに教えてくれます。あまりに気さくなので、学芸員ってどうやってなるのか?って聞いたら東大系と京大系があって、東大系は理学部、京大系は文学部で〜なんて教えてくれました。あと、展示している発掘した土器は触ってOK。表面のツルツル具合から、〇〇焼かな?なんて推測するんだって。 |
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楽しい解説を聞き、お礼を言うと学芸員のおじさんは発掘現場に戻っていきました。学芸員のベストを着ているのはこの人ひとり。他の人のベストには発掘って書いてありました。ということは、学芸員のおじさんはここで一番偉い人かな? |
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このような谷の合間に人口1万人を超える大都市があったんだからびっくりだね。だって、今年の冬の大雪では2m近く積もったらしいよ。400年前にそんな大雪が降ったらどうしたんだろうね。 |
下城戸 |
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発掘調査現場の見学を終え、復元町並を出発。北上し一乗谷の入口にやってきました。ここに下城戸という施設があるのでちょっと見学して行きます。ちなみに駐車場は無い。ちょっとした空き地に車を停めて歩いてきます。
ここは一乗谷の入口であり、谷の幅が80mと最も狭まった場所。ここに、敵から攻め込まれたときに防御する塀が造られています。 |
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この下城戸は幅10m、深さ3mの濠と幅15m、高さ4.5mの土塁、長さ50mもある防御陣地。大きな石が積まれていて、大きいものでは40tを超える大きさだそうです。どこからこんなに大きな石を持ってきたのかな? |
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南側から土塁を眺める。大きな石が積まれている様子は圧巻。お城の石垣とは違った見応えがあります。鍵状に通路が造られているのは、まっすぐ攻め入ってくる勢いを削ぐためかな。 |
福井市ホタル飼育場 |
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下城戸の近くに変わった施設があったので覗いてみました。何かを飼育している?栽培している?ような施設。入口の看板を見ると福井市ホタル飼育場って書いてありました。ホタルを飼育しているんだ! |
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内部はミニ資料館になっていて、ホタルの解説がありました。ここではゲンジボタルを飼育しているようです。ホタルは成虫しか見たこと無いけど、ここでは卵→幼虫→サナギ→成虫と成長させているようです。幼虫はカワニナを餌として水中生活しているんだって。 |
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5月になると幼虫は陸上に上がり、土中に潜って土繭をつくるそうです。この中でサナギになるんだって。土繭のサンプルが展示してありました。この中にサナギがいるはず。死んでるけど。
ホタルって真っ暗な夜に見るととてもきれいだけど、捕まえて翌朝見るとゲゲーってなるんだよね。 |
春日神社 |
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ホタル飼育場の近くに春日神社があったので参拝してみます。鳥居の脇に手水舎。でも、水が流れていないため、お清めできず。まぁ、気にせず階段を上って参拝して来よう。 |
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数十段の階段を上ると本殿拝殿があります。欅造りの建物。木造銅板萱入母屋造というそうです。御祭神はアメノコヤネノミコト、タケミカヅチノミコト、フツヌシノミコト、ヒメオオカミ。なんと1068年に建てられた神社なので900年以上もの歴史ある神社なのでした。
これにて一乗谷の散策は終了。美味しいご飯も食べれたし、発掘調査も見学できたし、なかなか楽しかった。でも、まだちょっとだけ時間がある(13:55)。ちょっとだけ寄り道しようか。 |
篠座神社 |
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14:00、大野市にある篠座神社にやってきました。しのくら神社と読むそうです。ここに来た理由は・・・なんとなくなんだけどね。 |
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神馬堂には人形?の神馬がいました。本物ではないらしい。 |
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まずは手水舎でお清め。ここの手水舎は湧水タイプ。近づくと水が湧きだしました。センサー付き? |
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御神木の輪切りを展示している小屋もありました。この展示パターンは、大昔から生えている御神木が倒れちゃったのかな? |
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では、拝殿を参拝しよう。篠座神社の御祭神は大己貴大神(オオナムチノオオカミ)。別名、大国主命ですな。出雲神話の主役ですな。参拝後、社務所で御朱印をもらって、本日の日程は終了。あとは富山に戻るだけ。あまり遅くなると、ネコ娘が帰宅しちゃうので、そろそろ帰りますよ。
14:40、大野を出発。 17:00過ぎ、帰宅。本日の走行距離は330qでした。 |