黒部
2021.10.31
今日は普通の日曜日。なんだけど、ちょっとドライブに行ってみようかってことで、自宅から車で1時間ちょっとの黒部市に行ってきました。コロナ禍にそろそろ耐えられなくなってきた。 |
米騒動 |
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富山湾沿いの県道を北上していくと、米騒動発祥の地という標識をペンギン姉さんが発見。車を停めて見てみる。モニュメントの上には米俵三俵。
解説によると、富山県は江戸時代から米が高くなったときに、藩が米を貸し与えたり、明治時代には町が白米を給付する風土があったとか。大正7年(1918年)、都市部の人口増加やシベリア出兵のための米の買い付け、買い占めで米の値段が1.7倍になったとか。そんな時、目の前の魚津港沖に伊吹丸という船が停泊し、米の積み込み作業を始めたものだから、付近の住民が作業の邪魔をして大騒動になったそう。これが、全国で一番早く起こった米騒動なので、ここが米騒動発祥の地と呼ばれるようになった所以。 右はモニュメントの近くにあった、旧十二銀行の米倉。ここからの米の積出阻止が米騒動の発端です。いまだ、米倉が残っているんだねぇ。 |
北洋の館 |
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米騒動の魚津から約30分、黒部市の海岸沿いである生地にある北洋の館にやってきました。ここは丸中水産という水産会社の倉庫だった建物です。喫茶店やお土産屋さんが入っていて、漁具の展示もありました。漁具をじっくり見学。あと、トイレがすごくきれいでした。 |
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左の機械はロランC。昭和40年ごろに開発された電波航法システムです。当時の値段で約150万円。すっごく高いのではないでしょうか。今でもごく一部の内航船で使われているんだって。
右はオメガΩ。昭和40年代後半、8送信局で全世界をカバーするオメガシステムというのが開発されたそうです。日本では対馬にオメガ局が設置されたんですね。なんと!この電波塔の跡地には訪問したことがあるんですね。いやいやびっくりですよ。そして、中丸水産では昭和52年に約1,300万円もの費用をかけてオメガシステムを導入したんだって。でも、操作が難しく、誤差が大きいってことで3か月で撤収したとか。うーん、もったいない。軍事用が主目的だったから漁業には使いにくかったのかな。 |
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電動油圧操舵機は自由に操作してOKってことなので、ペンギン姉さんが操作します。用意→微速→半速→全速の調整ができるよう。いつでも全速でしょ! |
生地鼻灯台 |
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北洋の館の目の前に立派な灯台があります。生地鼻灯台っていうそう。灯台カードあるかな?って思って見学してみたらちゃんとありました。昭和26年に初点灯。高さが30mあって、富山県では最も高い灯台なんだって。魚津近辺から見たとき、蜃気楼が発生していると、空中に浮いた生地鼻灯台が見えることもあるんだって。 |
生地台場 |
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生地鼻灯台から徒歩1分、生地台場があります。台場っていうことだから、敵の船の攻撃を防ぐ施設ですね。1851年、加賀藩が外国船渡来による海防上の必要性を感じて作ったものです。五か所に大砲が置けるように作られました。 |
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この生地台場で睨みを聞かせていたのが大筒。モルチール砲と呼ばれるものだそうです。高い弾道を描くため命中精度は低いんだって。射程もあんまり長くなさそう。それでも巨大な弾丸が直撃したら船に穴は開くでしょう。 |
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きっと船が目の前に見えるくら近づいたら活躍しそうなモルタール砲。これによって、生地台場を攻めたら、上陸までは成功するかもしれないけれど、その間に船は壊すから逃げ帰ることはできませんよ!と言いたいのだと思う。銃を持っていても、この時代の銃だと一発撃ったら次の弾を撃つまで時間かかりそうだからね。そしたら、刀の方が強いかも。 |
海底地下道 |
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台場から車で数分、黒部港にやってきました。ここには海底地下道があるのです。すぐ近くに橋はあるんだけど、黒部港の南側に住んでいる小学生は、黒部港の北側にある生地小学校までこの地下道を使っていくんだと思う。壁には小学生が描いた海中の絵がありました。海底地下道って珍しくない?
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生地中橋 |
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海底地下道のすぐ脇にある生地中橋。回転するタイプの可動橋です。今でも時々稼働しているみたい。クマ兄さんが訪れたときには動きませんでした。地元の小学生はこの橋を渡らず、海底地下道を渡るみたいです。
今日はこれにて終了。じゃ、帰ろう。 |
コストコ |
黒部から1時間ちょっとで地元に帰ってきました。ちょっと近所のコストコによって、ターキーレッグを買ってきました。夕飯に。限定発売なんだって。ディズニーランドとかUSJのものよりちょっと小さいけどほぼ同じ味で美味しかった。 |