富岡


2008.11.21



 クマ兄さんの出身地が栃木ということもあり、あまり隣の群馬県に遊びに行った事がありませんでした。でも、富岡製糸場は世界遺産に登録される前に行っておかねば・・・。世界遺産になってからじゃ混雑しちゃうからね。で、今回は富岡を中心とした群馬の旅を計画しました。




 いつもどおりに今回も三時起きの三時半出発。いつもなら東京まで走れちゃうのに、今回はとても眠い・・・。運転が辛い。しかも、助手席では元気ハツラツのネコ娘が寝ずに起きている。かなり興奮気味。ネコ娘の応援もあったのだが、眠気に勝てず上信越道の小布施PAで一時間ほど仮眠。ネコ娘はこの間「はたらくくるま」を熱唱してました。

 その後、休憩を多めにとりながら富岡ICに到着。九時半頃でした。そこで、まずは群馬サファリパークに行こう!ということだったのですが、早朝の熱唱の為か、ネコ娘は気付いたら爆睡!ネコ娘が意識不明のときにサファリパークへ行ってもしょうがないので、ガソリンスタンドを探して給油し、富岡製糸場から先に行くことにしました。




富岡製糸場
 カーナビを設定していなかったので、道路の案内標識を見ながら富岡製糸場に到着。目の前まで車で行けますが、駐車場はちょっと離れたところにあるようです。警備のおっちゃんに駐車場の場所を聞いて、観光客がたくさんいる製糸場の入口の目の前でUターンして、駐車場に行きました。
 上は駐車場から富岡製糸場の前の商店街を通って、製糸場に向かっているところ。道路の突き当たりにレンガ造りの大きな建物が見えます。
 富岡製糸場の受付に行くと、入場料500円/人を払います。そして、ボランティアによる解説付ツアー(約70分)に参加することにしました。参加しなくても良いんだけど、ここは解説を聞きながら見て回ったほうがいろいろ勉強になって良かったです。
 さて、このレンガ造りが特徴的な富岡製糸場、この建て方は「木骨レンガ造り」というそうです。これは木で柱と梁を組み、壁にレンガを積んで造る立て方だそうです。そして、レンガ同士のつなぎはセメントでなく、漆喰を使っているとか。
 現在の富岡製糸場の入口から見て、目の前にドンと立っているのが東繭倉庫。真ん中に中庭のほうに繋がる通路があり、天井はアーチ型をしています。そこには「明治5年」という表記が。富岡製糸場の操業開始は明治5年10月4日。富岡製糸場の一番最初からある建物なんですね。
 で、富岡製糸場とは?ってことだけど、当時、日本の輸出品で生糸はかなり重要な品物だったそうです。ところが、鎖国が終わり、外国との貿易が盛んになると、品質の悪い生糸も大量に作られ、輸出されるようになり、日本の生糸の評判が悪くなってしまったそうです。そこで、国が蚕糸工業の模範工場としてと指導者養成のために、官営模範工場として富岡製糸場を作ったんだそうです。
 左は乾燥場。買い入れた繭をベルトコンベアにのせて二階に上げ、二階で乾燥していたそうです。乾燥するのは、繭にカビが生えるのを防ぐ為とサナギを殺す為だそうです。右は危険物倉庫。この時代から危険物という考え方を持って、安全に気を使っていたのは、フランス技術者の影響でしょうか。
 なんで、富岡に官営模範工場?と思うかもしれませんが、当時は群馬県では養蚕がとても盛んで、原料となる繭が集めやすいとか、田舎なので広い敷地の工場が建てやすいとか、高崎や吉井あたりで蒸気機関の燃料である石炭が取れるとか、水が豊富とかいろんな条件が良かったそうです。また、当時は輸送に時間がかかったので、輸出港である横浜あたりに工場を作って、そこまで繭を持っていこうとすると、蚕が繭を出てきてしまって、そのときに生糸を溶かしてしまって、生糸が取れない、なんてこともあり得たそうです。
 この高い煙突は昭和14年に建てられたもの。初代は明治5年に建てられたそうですが、暴風雨で倒壊したそうです。このような高い煙突は石炭を燃やした時の排煙を散らすため。こんなところにも外国の進んだ考え方が盛り込まれていました。さすが官営模範工場。右はふたたび東繭倉庫。
 富岡製糸場が操業を開始したのは明治5年。このとき、富岡製糸場の機械を稼動させる為に、蒸気機関を三台(だったかな?)輸入して導入しています。明治5年って言うと、初めて新橋横浜間に蒸気機関車で鉄道が開業した年だよ!そんな時に工場を稼動させる為とはいえ、富岡に蒸気機関があったなんて、富岡製糸場への期待の大きさが分ります。
 上の建物は女工館。繰糸技術を教えるフランス人女性の住居のために建てられたそうです。よく見ると(右)、ガラスが歪んでいます。明治6年に建てられた時に入れられたガラスのようですね。
 繰糸場の中も見学できます。ビニールシートが掛けられているのは昭和40年代に設置された自動繰糸機。建物はキングポストトラス(王柱桁構造)という洋式で、柱が無く広い空間を確保できるように建てられています。屋根は越屋根となっていて、蒸気が抜けるようにもされています。壁の上のほうには繭倉庫の二階から繭を運べるように通路があったそうです。ドアだけが残っていました。
 左の絵は明治頃の工場の様子。工女さんが生糸を取っている様子。フランス式だそうです。300人もの工女さんが作業していたとか。工女さんたちの作業環境はとてもよかったそうです。それは官営模範工場で、他工場の模範となり、採算を無視して操業できたこと、工女たちは技術を身につけたら出身地に戻り、器械繰糸技術を伝承する為の訓練生だったこと、などが理由だそうです。
 左の白い建物はブリューナ館。繰糸技術の指導者として雇われたフランス人ポール・ブリューナが暮らしていた建物だそうですが、そのうち、工女に読み書きや和裁を教える夜間学校になったそうです。右は繰糸場入口。明治5年に建てられたとは思えないくらい立派な建物です。
 最後に、東繭倉庫内で繰糸体験コーナーがありました。お湯で煮ている繭にブラシをちょんちょんとつけると、ブラシに生糸が付いてきます。この生糸を反対の手でくるくる回したコマ?に巻きつけて糸にしていきます。そして、糸が続き、10本くらいの糸が束ねられるように、湯桶のお湯をブラシでくるくる回しておきます。すると、生糸が取れるんですねぇ。不思議。
 糸が切れたら、ブラシで繭をつついて一本の糸を取り出し、まだ引っ張られている糸にくっ付けると、そのまま復活していきます。面白い!

 そんなことをネコ娘とペンギン姉さんが体験していたら、団体観光客がやってきて囲まれてしまいました(右)。写真をとるのも困難なくらいに・・・。




昼食
 お昼は群馬県の郷土料理?おっきりこみにトライ。富岡製糸場から駐車場までの途中にある「みの助茶屋」というお店で食べました。おっきりこみとは幅広のうどんを生麺のまま茹で、野菜と一緒に煮込む料理で、とろみがでて体が温まる料理。山梨で食べられるほうとうとよく似た料理です。このお店では生姜が程よく効いていてとっても美味しかったです。ただ、お店を探していた11:40頃にはお店の中には誰もお客さんがいなくて、大丈夫か?と入るのに勇気が要りました。でも、12:00が近づくと近所の人が結構やってきて繁盛しはじめました。お昼にならないと客がこないのは地方ならでは。




群馬サファリパーク
 本当は朝に来るはずだった群馬サファリパーク。朝のほうが動物達は元気に活動しているから面白いんだよね。だけど、ネコ娘が寝ていたので午後一で来ることになりました。入園すると最初に迎えてくれたのがキリン。アミメキリンのようです。
 左はシロサイ。二頭が仲良く並んでいまいした。体重は2.5tあるそうです。うちの車より重いんですけど・・・。ちゃんとシマウマもいましたよ。チャップマンシマウマ。体重は200kg。体格はウマというよりはポニーに近い?車から見たからかなぁ。図鑑によるとロバに近いとか。
 山の中にあるサファリパーク。近くに高圧電線などが無い為、写真をとると現地にいる感じ?シマウマも天敵がいないのでのんびり餌を食べています。
 ネコ娘も乗り出してシマウマを観察。間近で柵無しに動物を観察できるのはサファリパークならでは。最近、クマ兄さんは神経が図太くなってきたからか、後に車が来ていてもジット車を停めて観察するようになってきました。だって、サファリパークは値段が高いから、じっくり見たいじゃん。右はクマ。ツキノワグマです。クマ兄さんは・・・何グマ?
 クマ兄さん一行は行きませんでしたが、車から降りて歩いて動物を見ることができるコーナーがありました。ただ、30分待ちの大行列。無理だな。その分、車からじっくり動物を見ます。右はアメリカバイソン。この肩の盛り上がりはなんなんだろうね。近くで見るとでかくて怖いです。ネイティブ・アメリカンは食用にもしているそうですがどんな味がするのかな?牛の仲間だからステーキみたいかな?
 今度はベンガルトラ。お昼過ぎにもかかわらず起きていて、凛々しい姿を見せてくれました。眩しそうに目を細めていますが、ときどきチラッとネコ娘を見る視線はちょっとドキッとします。ネコ娘が美味しそうに見えたかな。カッコイイね〜。
 ベンガルトラとは対照的にみんなでお昼寝のライオンたち。まるで谷底ライオン(知ってる人はライオン通?)。やっぱりお昼にサファリパーク来てもこうなっちゃうんだよね。
 この1頭だけは違いました。鋭い眼光で周りを見回し、ずっと車を停めて観察しているうちの車には時々唸り声を上げて威嚇?してました。ニクキューも見せてくれました、デカイ!。
  左はムフロンの群れで右はアフリカ水牛。どちらも休憩中。ムフロンは角が特徴的でした。山岳地帯に生息しているそうで、群馬サファリでも斜面になっているような場所で群れていました。アフリカ水牛は日向ぼっこ中?アフリカ水牛は餌を食べているか、寝ているか、のどっちかの姿しか見られないとか。

 ちょっと小さ目の群馬サファリパークでしたが、長時間車を停めてじっくり観察してきました。最近では日本の動物園は行動展示をするところが増えましたが、サファリパークは行動展示というよりは、オープンシステム(オープン・ズー)に近いですね。群れたり、走り回ったり、喧嘩したりと行動展示でも見ることができない姿が見られて良いです。時間帯によっては寝てることも多いけど。




碓氷第三アーチ
 群馬サファリを楽しんだら次は軽井沢へ移動。アウトレットでペンギン姉さんのダウンジャケットを探すことになってます。上信越道に富岡ICから乗り、碓氷軽井沢ICまで行こうとしたら、カーナビは横川ICで降りろと。たぶん、横川ICからのほうが距離は近いんだね。ちょっと悩んで、ネコ娘がお昼寝中なのを確認して、横川ICで降りて国道18号を走りました。しかも、旧道のほう。狭いところもあるのに結構たくさんの車が走ってますね。
 で、旧道を走った目的は、この碓氷第三アーチを訪れるため。以前、ここをドライブしていて、おっ!と思ったものの通過してしまい、いつか写真とりたいなーと思っていたのでちょうどいい機会でした。
 この碓氷第三アーチは明治26年から運用されたそうです。横川軽井沢間はアプト式が採用されたので、このアーチの上にも当然ラックレールがしかれていたでしょう。昭和38年に新線が完成し、こちらは廃線になっています。廃止になった構造物では一番大きいものだそうです。どこから入れるのか分りませんでしたが、現在では遊歩道になっているらしく、アーチ橋の上を歩いている人がいました。




軽井沢プリンスショッピングプラザ
 アウトレットでペンギン姉さんのダウンジャケットを購入する為に、いろいろと散策。すると、大道芸も何箇所かで行われていました。この人は「壊れたロボット」っていうのを一人でやってました。なんか切ない感じの芸でした。ネコ娘も真剣に見てたな・・・。
 そのあと、夕飯を「軽井沢・ナチュラル・ビュッフェ」っていうところで食べ(自然食のバイキング)、満腹になったところで軽井沢を後にしたのでした。
 左はアウトレットの池越に浅間山を見たところ。夕方で暗くなってたけどきれいだったなぁ。




草津温泉
 軽井沢から温泉に入るために草津へ移動。ここでお風呂に入って、後は寝るだけです。実は湯畑のすぐ脇に駐車場があったのを覚えていたので迷わず、湯畑まで車で直行。すると20時近かった為、駐車場は余裕あり。車を停めて湯畑を一周散策しました。
 有名な湯畑は左の写真ですね。湯の花大量生産しています。
 こんなのを見ていたら、ネコ娘が凍えている!寒かったみたいだね。急いで白旗の湯に移動。ここは入浴無料の温泉です。後から知ったのですが、石鹸などを使って体を洗ったりしてはいけないとか。温泉成分が体の汚れを溶かして落とすので、洗う必要は無いらしい。知らなかったので、とっても寒い隅っこで体を洗ってました。蛇口が無いからおかしいなーと思ったんだよね。

 そのあと、ふたたび車に乗って、道の駅「草津運動茶屋公園」に移動。本日はここで車中泊となりました。寝る直前の気温は氷点下になってました、さみー!




二日目
富岡、草津 に戻る




トップページ に戻る

クマ兄さんの部屋 に戻る